校歌は、昭和31年10月18日に披露されました。
大正5年10月18日の旧校舎が建って40年目に記念行事として、歌詞を全国に募集しました。
詩人・医学博士の中野嘉一先生と三重大学教授原重一先生に審査をお願いして9月1日に松阪市の荒木子風氏が選ばれました。
作曲は校区内の三重大学音楽講師の長曽根弥代氏を通じて東京藝術大学教授下総皖一氏(しもふさ かんいち、1898年3月31日〜1962年7月8日)に依頼されました。
下総氏は、埼玉県北埼玉郡原道村砂原(現・加須市)に生まれました。
1920年東京音楽学校(現東京藝術大学)で作曲を信時潔に師事し首席で卒業したそうです。後ドイツのベルリン芸術大学でパウル・ヒンデミットにも師事しました。
1934年東京藝術大学校助教授。1940年文部省教科書編集委員。1942年同校教授、1956年東京藝術大学音楽学部長。 門下に芸大で團伊玖磨氏、佐藤眞氏、芥川也寸志氏、松本民之助氏、山岸磨夫氏、プライベートで須田くにお氏がいるとのことです。童謡・文部省唱歌を多く作曲しました。「たなばたさま」「ゆうやけこやけ」「スキー」「野菊」「花火」「ほたる」「長い道」「母の歌」「かくれんぼ」「兎のダンス」作詞野口雨情「五十音の唄」作詞北原白秋などです。 |